Twitterをやめるぞ、とアプリから蠅地獄をログアウトしたわけだけど(仕事で使うアカウントもあるからアプリは消さなかったんだね)、仕事の方のアカウントで見てしまった、なんか話題になっている人の書き物関連のあれこれを見て、いろいろ思うなどした
一つは、「思ったより、世の中ああいうあり方の人はごろごろいるんだなあ」ということ
渦中の人がそうだ、という話でなく、その人に色々言っている人の中で、明らかにそういうあり方の自分/他人に振り回されたことで、伝えているその発言内容の考えに至ったのであろう人が、わりにゴロゴロいた
ああいう型のぶっ壊れかた、インターネットの使い方、人との距離の取りかた、善悪や正誤の話に全ての事柄をもっていって最後には自分が正しいという考え方、というか自分の身の守り方、結構世間にありふれているんだなあとびっくりした
ああいう生き方をする人間はさぞ特殊なのだと思っていたが、まあまあいるらしい
まあまあいるということは、多分、捨て置かれることもまあまああるんだろう
じゃあ、まあ、そんなに、重篤に深刻に考えなくてもいいのかもなと、少し思った
今日はイレギュラーによく働いた
ご飯を食べたら美味しいと思えてよかった
明日はまた仕事だ
研究と勉強が進まない、ということよりも、まずは身を立て直すことから
あ、そうそう
もう一つ、別の文脈で話題になっているものを見た
レッテル貼りで断罪しても、誰のためにもならない、みたいな話
なかなか熱をもって、また人に訴えかけるようなエピソードをたくさん説得的に使いながら語っている人がいたが
レッテル貼りして断罪する人自身が、理解されたかったり許されたかったりすることに無自覚であることについての言及は希薄だったので
届かせたい層の一部には、届かんだろうなと思った
さらにもう一つ
最初の話題に連関してか、手紙を長々と書くことと、自分が理解されれば許されるだろう、また問題が解決するだろうという思考との間に相関があるように思えるという話をしている人がいた
自分もまた、こうやって、理解されたいと文章を書く人間であるから、チクリと刺さるところもある
そうよね、相手を理解することからなんだろうね
相手を理解したいというのもまた、それによって自分が理解されたいという下心が空転しているうちは、やっぱりうまくいかないんだろうけど
だから、多分、理解してくれる、受け止めてくれる人が、まずは必要なんだろうね
そういえば、良人と一緒に住んでからは、あまり手紙を書かなくなったな
伝えたいことを伝えたい時に、目の前の相手を見ながら伝えようと思える、つまり相手を信頼できるし、またそれが実際に実現できるから、そうなのかもしれんなあと
(それはそれとして、形に残るから手紙はあげたいしもらいたいよね
もらう分には、良人に限らずとも、嬉しいことが多いしね)
以上、インターネットの話題からぽろぽろ思ったこと三選(三つしかないから別に選んではいないが)でした
記事タイトルはここまで書いてからふざけて付けました、アホっぽいよね