どんなときも、どんなときも、僕が僕らしくあるために
「好きなものは好き!」と、言える気持ち、抱きしめてたい
そう槇原敬之は歌っているわけですが、みなさんいかがお過ごしですか、蠅地獄です
ふと頭に流れてきたが、特にそこから何かが
引き摺り出されてくるわけでもない
ほんとにただ頭の中で流れただけですね
「ぼのぼの」の、1995年版アニメのBGMも、よく頭の中で流れていたりする
全体的に、沖縄の雰囲気のあるものが多い
調べたら、作曲した人は沖縄出身らしい
あとオーケストレーションをよくしていて、「千と千尋の神隠し」のサントラにも参加していたらしい
調べ物すると、思わぬものが繋がっていて面白かったりするよね
最近、沖縄文化を好きになったところがあって、調べ物をいくつかしたり、もうちょっと踏み込んで色々体験したりしてみている
そのルーツの一つに、幼少期に数十回は繰り返し見ていた「ぼのぼの」のアニメBGMの影響があったりするんだろうか
そんなことを、考えてみたり
また芋づる式に話が出てくるのだが
僕はかなり、一度好きになったものに執着する
「ぼのぼの」もその一つ、四歳からずっと好きで、未だに漫画原作の単行本は買っている
ぼのぼのは珍しく、世界観全体を好いている作品だが、だいたいの好きな漫画は、一番好きなキャラクターがいる
「アニマル横町」のケンちゃん(ケンタ)(昨日、かなり久々に夢に出てきた、タイムリーだ)、ばいきんまん、「名探偵ホームズ」のモリアーティ、ゾロリ先生、などなど
作品や、そのキャラクターたちの人格を捉える、自分自身のものの見方や価値観が変化して、それらに対する眼差しが変わろうとも
好きであったその時の、大事にしたいという気持ち自体は、まだその残り香を帯びている
そんなことを思ったりした
家を出て、ある程度大人になってからハマった作品やキャラクターとは、やっぱりどこか距離感が違うんだよな
好きであったということを、記憶から参照し、懐かしんでいる、そんな感じ
ここまで書いても、まだ「ぼのぼの」のアニメのBGMが頭で繰り返し鳴っている
刷り込まれているんだなあ
アニメや漫画が好きであることをアイデンティティにしたかった時期が、ハイティーンの頃にあったけれど、それもまた、完全な過去になっちゃったな(俺が漫画とかで特定の作品やキャラクターを好いていること、周りの人のどれくらいが知っているだろう?)
大人になったということなのかもしれんが、なんとなく、自身の、世界への参与が少し薄まってしまったようにも感じる
ファンやオタクの共同体に自分も属することで、人との共同的な社会にいる実感を得ようとしていた部分も、あったからかもしれない、そんなふうに、ふと思った
今日は友人と食事をした
自分の話し方やら物言いやら言ってる内容やら、ところどころ、諸々、あんまりよくなかったな、と反省しているところもある
申し訳ない
それでも、楽しくお話ししてくれて、ありがとう
いつもありがとう