星は降らねど

僕はインターネットでまとまった文章を、かちっと書くことはほとんどない

大体のものが、僕以外には何を書いてるかもそもそも分からないような、文章にもなっていないもの、単語を書いたメモ用紙を壁に貼り付けているような代物となっている

それは大抵の場合、こういった文章は、その時眠れないからつらつら書いているだけであって、公開することはなんというか、変な言い方だけど、副産物のような立ち位置であるからである

それもあって、自分でさえ、数ヶ月後に読み返してみると何を書きたかったか読み取れない部分もままある

 

 

人と何かを楽しんだ時の余韻だとか、沸き起こる自分の感情の手触りだとか、そういうものを保存しておきたくて、文章を書こうとすることもある

しかしそういった動機の場合、九分九厘、書き始める前にペンを置く、もしくはスマホのアプリを閉じる

それが不可能であることを知っているからだ

保存はできない、みるみるうちにそれらの色彩は溶けて空気の中に消えていく

それをかつては「もったいない」と、ギリギリしていたが、今はそれも、怖くなくなった

 

今得たものを思い起こすことも、いつかどこかで訪れるし

全く同じでなくとも、同じように、「大切にしたい」と思える感情を、また得るだろうと信じられるようになったからだ

 

すぐに「思い出だけで生きていこう」という思考に陥りそうになる

いつか壊れるかも、失われるかも、もう二度と手に入らないかもと、不安になるからだ

 

でも、きっと大丈夫で

それは、どう転がろうとも大丈夫であろうという、意志でもあるのだろう

 

 

それらをふまえ、書きたいことを書こう

 

今ここで、自分が生きていることを、真正面から肯定されて嬉しかった

頭が壊れそうで、これを思い出して今は胸の辺りが弾けそうだが

とにかく、嬉しかった

 

「思い出だけで生きていける」というような気持ちになりそうだが

そんなふうに、一回ぽっきり言えば完了する言葉としてでなく発せられたことがよく分かっているからこそ、こんなにも重みを感じているのだろう

 

 

明日明後日も、生きられますように

神様や、それらの類が、もしくは誰かの悪意が、私から◾️◾️を奪いませんように

 

 

おやすみなさい