愛、恋、そういう言葉を使わなくなって久しい
友人とか、ありがたいとか、嬉しいとか、幸せとか、そういう言葉はよく使うようになった
友人については、そう呼んでいいかな、と親しくしてくれている人たちに対して思えるようになったということと、そう思えるほどに親しく付き合ってくれる人がいてくれることが大きい
使わなくなったのは、単にもう置いてきてしまったからだ
そういうものを観念として据える世界体系ごと
概念としてラベルをつけずとも
そう言語として現れずとも
自分が好き好んで関わっている人たちに
常にそれらしき気持ちを私は向けている
性愛が関わるのは一人しかおらんが
あとは大なり小なり、これからも親しくしたい、大切な人、だ
心的、時間的リソースを割くときの優先順位に、一人だけ別個の枠があるだけなんだ
自分の人付き合いの型が、他者との世界構築が、そのように定まりつつあることが嬉しい
誰を大事にしたい、したくない、誰になら何を許す、許してもらえそうと思う
そういうのが、前と比べてずっとクリアだ
というか、変にごちゃごちゃ考えずとも、やりたいようにやればいい、となりつつある
まあクリアだからといって、失敗は多々あるわけだけど
変に計算したり調整しようとしたりしなくなった分、別のいろんなことが考えられるようになった
他者と対峙したときの緊張が、幾分かましになった
単に、「この人とまた関わりたいな」と思えば、声をかけたり話したりすればいいし、それがしばらず互いに起こらずとも、仲良くしたいと思えている間はずっと友人であるし、何かのタイミングでその機運が高まれば、また関わりが再開する
関わっている時間は、その時間と相手のことを大切にすればいい
シンプルだ
そして、変に観念を導入してものを考えなくていいのが、とてもいい
今のありようをかなり気に入っている
眠い
おわり